経塚は末法思想の影響を受けて起こったもので、写経された経典を経筒に納め、さらに石製や陶製の外容器に納め副納品や除湿剤ともに石室内に安置する。最古の経塚は、藤原道長が大和国金峰山に造営した金峰山経塚であり、寛弘4年(1007年)在銘の経筒が出土している。 紙本経はほとんどの場合腐朽・消滅しているが、稀に残存していることがあり、また軸木のみ残っている場合もある[1]。経筒の銘文は造営時の事情を示す貴重な歴史資料となっている。 出品物は、日本か中国か国籍は不明ですが 上部の作行きから平安から鎌倉を想定しております。 銅の材質は白銅が使われており 高尚なお方の持ち物だったことが推定できます。 高さ 約9.8cm #骨董 #発掘品 #古美術 #中国 #文化財